ウェブと金融危機の関係性

このブログは当初、「ウェブとリアルと人間と」というタイトルで執筆し始めたのですが、たまたま立ち読みしていた雑誌に、まさに「ウェブとリアル」の関係について考えさせられざるを得ない論考を見つけました。

ニューズウィーク日本版2008年10月29日号の特集は「資本主義の未来」、いうまでもなくサブプライムローンCDS/CDOなどの焦げ付きに端を発した金融危機を受けての緊急特集です。表紙にフランシス・フクヤマポール・クルーグマンの名前があるわけですからとりあえず目を通さざるを得ません。

で、フクヤマクルーグマンの論考は、まぁ予想通りという感じだったのですが、それよか特集冒頭の記事が「これは考察を加えざるを得ない」というものだったので、紹介し、内容を検討しておきたいと思います。

その記事のタイトルは"The First Disaster of the Internet Age"=日本語版では「ネットの擁護者グリーンスパンが危機を生んだ」。ウェブには要約記事があるけれど、できれば原文を読んでいただきたい。執筆者はカウフマン財団*1の上級研究員であるポール・ケドロスキー。とりあえずは、読み進めていくことにしましょう。

インターネットは、膨大な情報を一般大衆に開放するという期待に十分に応えてきた。グーグルの使い方を知っているなら、現在の信用危機を分析するのに必要な情報はすべて、無料で手に入れられる。
問題は、重要なデータに気づかなければ、いくら情報を入手できても無意味だということだ。

古くは情報システムの普及、ダウンサイジング化から始まって、ウェブが普及するにいたって、「情報格差」なるものはなくなるのだ、という幻想が繰り返し唱えられてきました。そう、それは明らかに幻想でしかないでしょう。新聞記事が無料でウェブで読めるからといって、本当に世の中の変化を示唆する鋭い分析の記事・論考日々見つけ出して読み続けられる人がどれほど存在するのか。Googleがいくら便利だと言っても、人によって使いこなし方は千差万別です。ウェブで公開されていることが、そのまま万人にとって入手できる、とは限らないのです。

ただし嗅覚を研ぎ澄まし、検索エンジンなどツールを使いこなすスキルさえ身につければ、これまでウォール街の片隅で秘匿されていた貴重な情報だって、誰しもが入手し、使いこなせる、そんな理想を実現するのに、WWWは必要十分なインフラであることは間違いないはずでしょう。この考え方自体には、私は無条件で賛同するのですが、「嗅覚を研ぎ澄まし、検索エンジンなどツールを使いこなすスキルさえ身につければ」という前提条件はいとも簡単に忘れ去られるのが世の常であったりします。

この記事では前FRB議長のアラン・グリーンスパン氏が、過度な楽観的観測でインターネットを礼賛したことが、今回の金融危機の遠因となっていると指摘します。

インターネットは個人投資家に力を与え、不透明な金融市場を透明化し、優良株からパーム油の先物取引まで幅広い分野で投資を行う新世代の「市民投資家」を生み出すとされてきた。
インターネットによって、世界は小さな村のようになると考えられた。そこでは、衆目にさらされる広場ですべてが起き、他人を食い物にする取引や腐敗が白日の下にさらされる。

こうした見方の最大の擁護者の一人が、アラン・グリーンスパンFRB(米連邦準備理事会)議長だった。

こうした態度に対し、ケドロスキー氏は

だがグリーンスパンは、それがいわゆる「エージェンシー問題」を引き起こすことを知っていたはずだ――つまり、小口化された住宅ローン債権を保有する投資家は、ローンの内容や質に関心がなく、ローンに問題が起きてもどうすることもできないことを。

として非難する。そう。いくら情報自体が存在しようとも、それが適切に使用されない限り情報に価値はない。ましてや、誤った活用のされ方をされてしまうと、、、、、

インターネットは情報の共有化を進める反面、関心が細分化した多くのグループを生みだす。こうしたグループの中では、一定方向の動きが増幅されやすい。
しかも、インターネットは情報を開放する一方、情報過多の状況を招き、信用市場のトラブルが情報の山にうずもれてしまった。

という成れの果てになる。
今回、ニュースでひたすら飛び交っている用語、例えばサブプライムローン証券化CDOCDS、、、、、、こうした用語をきちんと理解している方はどれくらいいるでしょうか。もちろん、こうした用語を丁寧に紹介してくれるブログは数多く存在するわけですし、丹念に情報を追っていけばこうした用語を理解することは可能でしょうけれど、実際にそこまでやれる人ってどこまでいるのやら。

ちなみに私自身、以前会社員をしていた際は近所の外資系銀行に口座を開き、投資信託や外貨預金を多少購入したことがあります。しかし、相場環境に一喜一憂したり、個別企業やファンドマネージャーの成績・財務指標をチェックし続けることはとてもじゃないけれどできず、取引なるものをほとんどしないようになってしまい、結果的に手元資金は学位取得のために投資するという結論に、、、、、、つまり、インターネットやその上にのっかるウェブプラットフォームが果たした役割は、あくまでも情報「入手」プロセスの効率化であって、情報「探索」精度の向上や、情報「解釈・理解」の効率化にはそれほど寄与していないということです。量だけ集めて、理解した気になって、勢いでがんがん取引して、、、、ということをやっているという点では、街中のデイトレーダーからウォール街やシティのインベストメントバンカーまで同じというわけです。

だからといって、金融市場をウェブが登場する以前の状態にまで逆回転し、閉鎖的なものにすることは非現実的でしょう。少なくともオープンになったことによるメリットは現在でも消えていないのですから。というよりも、オープンさはまだまだ足りない。そしてケドロスキー氏の提言は以下のようなものです。

危機の発生を未然に防ぐ方法の一つは、インターネットで金融情報を提供するしくみを工夫することだ。

株式市場やデリバティブ、商品相場の情報などを、ダッシュボードのように視覚的にとらえられるウェブサイトをつくるのだ。そうすれば、雑多な表ではなく、赤や緑で色分けされた図と、わかりやすいグラフで金融の動きを把握できるようになる。

私たちに必要なのは、あらゆる金融情報を網羅的に提供するサービスではなく、ダッシュボードのようなわかりやすい情報提供サイトだ。

つまり、適切に情報を収集して、きれいにレイアウトする、つまりアグリゲーションとグラフィックユーザインターフェイスの問題を解決することで、万人の金融リテラシを向上させ、適当や勢いばかりの投資家を、思慮深い投資家に変えてしまい、市場の急激な変動を防ごうというわけです。

しかし、私はアグリゲーションとUIでこの問題が解決するとはとても思えません。例えば情報、というよりもデータは集めてきただけでは何の価値も発揮しません。どのように組合せ、どのように読み取って判断するか、によってその情報の価値は巨大なものとなったり、無も同然となったりします。しかも、CDOのしくみなど、きれいなグラフで取引情報が表示されたくらいでは全く理解不能です。基本的な数学や金融工学の知識があって、更に相当量の文章による解説を読まなければまともな理解に至ることはないでしょう。

どのように組合せ、どのように読み取って判断するか、というスキル=リテラシの向上をウェブプラットフォームの設計によってサポートするならば、「集めて」「まとめて」「表示する」という以前のプロセス、「どのようなものを」の判断に資する情報の流通を促進させる他ないと考えます。情報の情報、もといデータのデータ、やはりメタデータ生成・流通の循環と、メタデータを活用した情報収集・理解・活用能力の向上こそが、今後のプラットフォームの進化に求められる最大のポイントであると思います。そしてまず第一に、「情報はその内容を理解していない限り価値をもたない」という至極あたり前の真理に、皆が立ち返るべきなのでしょう。

えーと、グリンスパンに対する評価ですか?私はグリーンスパンがウェブを評価したことは正しかったと思います。ただ、情報がただ開放されただけでは不十分であったということに気づけなかっただけなのではないでしょうか。というよりも、90年代後半から2000年代前半は、誰しもが増大する情報量の影響に驚くばかりであった時代ですから、当時のグリーンスパンを責めるのはちょっと酷かな、と。ま、私は金融の専門家ではないですから、なんともいえないのですけれど。(と、逃げを打っておきます。だって、これブログだし。)

*1:起業家支援団体。Google検索を参照ください