「気持ち悪い」とは何なのか!(1)

前回のエントリ「気持ち悪い」という気持ちについて多方面から反応をいただいた。

まず最初に、うっかり「タグ」と「キーワード」が同じものというようなことを書いてしまいましたが、もちろん全く別物ですね。この点については修正させてください。

さて、私はそのエントリにも書いたとおり、しっかり"ギーク”サイドに落ちた人、とカテゴライズされてしまう人ではあるのだけれど、フォークソノミーを「研究対象」としている以上、「気持ち悪い」の意味するところをしっかり整理しなければいけないという意識は持っています。

ということで、いただいたトラックバック「気持ち悪い」と思う部分―北の大地から送る物欲日記をもとに、掘り下げて考えてみたいと思う。

「分からない」という表現に嫌悪感が加わると「気持ち悪い」って感情になるのかな? もしくは単に好みが合わないものに対して「気持ち悪い」という感情を感じるとか。
「気持ち悪い」と思う部分―北の大地から送る物欲日記

いろいろなものに対し「気持ち悪い」というワンワードでばっさり切っていたけれど、ニュアンスから察するに、

には実は違う構造がありそうだと思う。

は単純に「わからない」「見慣れない」ものに対する拒否反応なのだろうと分析する。
ま、確かにとっつきにくいよなぁ。タグクラウドなんて。
ぱっと見て、このグラフィックがどういう情報を含んでいるかが説明なしでわかった人はかなり直観力がある人でしょう。

こっちに関してはわかりにくいなんてことはないはず。
だって、最近の人気エントリーなんて、シンプルなランキングだし。裏側のアルゴリズムはわからなくても、上にあるものほど「みんなが注目している」「重要だ」ということは始めて見た人でも直感的にわかるはず。しかも赤文字で人数も表示されているし。

では、何なのか。

どうにも気持ち悪いの使い方が良く分からないのだけれども、タグはユーザーがそれぞれ感じたカテゴライズ?(これを指して情報の圧縮か)で、それは各ユーザーが自由につけるもの、基準というか、それが集まることで人々が感じる多様性を知ることができるのがタグだと思うんですが、なぜ情報を圧縮するプロセスを拒絶するのだろう? 面倒くさいの感情がより強くでたのが気持ち悪い、なんだろうか?
「気持ち悪い」と思う部分―北の大地から送る物欲日記

で分析いただいたとおり、

  • 多様性に対する嫌悪感
  • 情報を圧縮するプロセスに対する面倒臭さ

の2つが混じって「気持ち悪い」につながっているのでは、と思えるのだ。

まず、シンプルな

  • 情報を圧縮するプロセスに対する面倒臭さ

から。
というよりは、情報の受け手ではなく「能動的に情報を生み出すことに対する面倒臭さ」なのであろう。
たとえば、
仕事や研究に疲れて22時半ごろにうちに帰ってきた時に、PCを立ち上げてRSSリーダーをチェックしたり、YouTubeでクリップを探し出して見たりするほうが楽しめるとわかっていながら、ついついあまり関心のないニュースを流す報道ステーションをボーっと見ながらビールを飲む
なんてことはないだろうか。
だって、何も考えずに外部のゆるい刺激を受けているのは楽なものでしょう。
じゃなければ、iPod Shuffleなんてだれも受け付けない。

「そんなの、使い分けだろう。たぶん自分で能動的に探したことないから楽しさを知らないだけだ」という意見もあるだろう。まさにそのとおりかもしれない。
けれど、わざわざ探す対象ということでは、リアルの世界に競合するエンタテインメントは無数に存在するのも確かなことである。

・・・続く・・・